好きを追求して仕事にする執念

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20071105/p1

読後以降約2週間、自分の志向性の探求に時間の許す限りチャレンジしてみた。この本には、梅田氏(id:umedamochio)の伝えようとする熱意が文書の中に滲み出ているように感じる。そして、この本にある「志向性の見つけ方」を参考にできるんじゃないか?と直感がガツンと働いた。少し気負いがあるかもしれないけど、そういう衝動に駆られた。志向性の発見は、仕事人としてプロフェッショナルでやっていくなら、第一義だし、一方でなかなか発見できない状況を打開したかった。それがこの2週間で発見できるなら、こんなお得なことはない。

私は、ここ5年ぐらい好きを仕事にする重要性に気がついていろいろな思考をめぐらせてきた。しかしそれが簡単じゃない。好きなことはそれなりにあるけど、それを仕事の中核にそえるのが(食えるまでの道のりが見えず)怖いし、自分との対話は結構疲れるのである。すでに走り始めたキャリアを振り出しにもどすようになるし、経済的にも負担が大きい。なにより、過去に好きだったからといって、それに賭けてみるのはあまりのも無謀な気がするのだ。そして、思考継続してもなにも気がつかないと、自己嫌悪にも陥いることもよくある。
ある時期は、そういうことを忘れプロジェクト(本業)に打ち込むけど、ふと思うと志向性が不透明な自分にすごく不安な気持ちになる。周りにいる好きを仕事にしている人たちが明らかに自分より夢中に仕事をしているのをみると「この人たちにはかなわないや」と思うし、自分もどうにか好きを競争力の源泉にしていかないと、いまの社会を走り抜けられずひとり置きざりになる気がするのである。ところが、志向性が明確な人を参考にしようと好きの発見方法を聞いたり本にあたっても、発見プロセスがシンプルすぎたり、抽象的すぎて、自分に応用できないのだ。
たとえば、知的生活の方法を書いた渡部昇一氏「ものを考える人考えない人」(三笠書房)P32では、

これからの社会は、自分の志を立てるよりほかに仕方がないんだと悟った人は、時々静かな時間をもって、自分の本音に耳を傾ける習慣をつけたらいい。これはわざわざ何時間もとる必要はなくて、出勤や散歩の途中でもかまわない。そのうちにかすかなつぶやきが聞こえるだろう。最初はその声は低くても、次第にはっきりと聞こえてくるはずだ。

とあるけど、「つぶやき」がさっぱりきこえない。
また、よくいく美容院。髪を切るのが好きというエネルギーが全身からみなぎっている美容師のOさん。どうして、美容師を選んだの?と聞いたところ、

子供のころの七五三のときに、両親が美容院につれてってくれた。お店で自分が大変身した。これだ!とおもった

幼少時代に直感で好きを発見して突っ走ってきているのだ。だけど、そういう機会がなく、直感が働かない人はどうすればいいのか。簡単なようで好きを追求するとは、難しいと痛感していた。そして、とにかくヒントを希求していたのだ。そこで、このウェブ時代をゆくに話は戻る。この本には、梅田氏の志向性を探求する試行錯誤(第四章 ロールモデル思考法)は、2つの点で目からうろこが落ちた。 第四章のロールモデル思考法 P121である。

高校時代以来の親友が大手金融機関を辞めて少年時代からの「好き」(歌舞伎)を貫くために松竹に入社したことに刺激されて、趣味の将棋にかかわり続けられればと日本将棋連盟への就職もかなり真剣に考えた。沢木耕太郎ルポルタージュ作品に耽溺していたころもあり、ルポライターのような仕事はどうかと考えたりもした。でもどれも一人前になるにはかなりの時間的投資をしなければならないわりに、どこか自分を駆り立てるほどの現実味がなく、何も踏み出せずに本ばかり読んでいた時期があった。

一つは、自分の「好きへのあきらめのつけ方」なのである。私も少年時代から好きなことは、いくつかあるけど、それを追求しきれたとはいえない。だから、自分の中であきらめ切れていないので、好きを仕事にする話にあるといつも想起してしまうのだ。とはいえ、好きなことの探求という、やや哲学的な思考と矛盾するけど、膨大な時間的投資とその結果として得られる精神的自信(一人前になること)、自分がそこに踏み込む現実感をみればいい。いわれてみれば当たり前なのだけど、ああそうかと。

もう一つは、次頁(P122)のこのくだりである。

ふとあるときに愛読書「シャーロック・ホームズの冒険」に没頭しながら、自分は「私立探偵の在りよう」に少年時代から心惹かれてやまなかったことを思い出した。そして犯罪捜査という「What」にではなく「私立探偵の存在の在りよう」に心惹かれていることに気がついた。しかし「ホームズを読んで私立探偵」では小学生の夢と何も変わらない。荒唐無稽ながら私はホームズにおける何がいったい自分への強い信号を発信しているのかを徹底的に自問してみることにした。

好きな対象を「What」ととらえるだけでなく、その対象に惹かれた理由を丁寧にさぐれば糸口がみえてくる。好きの信号を「What」だけでとらえて思考停止せず、「存在」やその他の可能性をさぐるのだ。そういう切り口があったか、と目からうろこが落ちたし、それに気がつかなかった自分を一瞬恥じた。「好きを仕事するなんて現実的ではない」という外界からのシャワーと、「いや好きを仕事にできる」信念のようなもの間にはさまれた2重性が内在的にもあり、前者に押しつぶされそうになっていたのである。この差は、考える力の差もあるけど、梅田氏の好きなことを仕事にする執念の一端を感じるのである。

さて、この2週間でどうなったか?
実は自分の中での志向性を獲得することに成功したのだ。まだ、ややぼんやりとしているが、明らかに今までとは違うもの。静かな勇気みたいなものがわいてきた。この志向性をもって外界の信号をとらえることができ、いろいろなことがそれこそ、芋ずる式に見えてきていた。好きを仕事にして具体化させる糸口をつかんだのである。すごいブレイクスルーになるといいな。ありがとうございました。